卒論研究の手順1―テーマの発見


@大まかなテーマ

 研究対象とする分野、作品、ジャンル、作家、時代等を特定すること。人間地域科学課程の時代は三年目の後期には決定することとしていたが、国際協働グループの場合は二年目末のゼミ選択時には決定していることが望ましい。それが出来なかった場合は、三年目の前期中には決めたい。前期ゼミの15回目に「卒業研究構想レポート」を提出させ、成績評価の一部とすることとなったから、決めた上で多少は研究を進めておくことが望ましい。
 まだ決まっていない場合の対策は、たとえば文学史のテキスト(授業で使ったテキストとは限らない。高校の副読本でもいいし市販の文学史でもよい)を読むのが一つの手。その際上代から順に読み進めなくてもよい。自分が興味ありそうな時代やジャンルをつまみ食い的に読んでかまわない。出て来た何かに少しでも興味を感じたら、実際にその作品を覗いてみる。図書館にある岩波日本古典文学大系・小学館の日本古典文学全集・新潮社の日本古典集成等の中から、代表的なものはあらかた見つかるだろう。見つからなかったら図書館の職員、先輩、教員に聞けばよい。なかなか興味の中心が特定できない場合、指導教員に何度でも相談すること。相談相手は指導教員でなくても構わないが、最後までお世話になる以上、出来るだけ親しくなっていることが望ましい。なおなかなか決まらないのでいつまでも相談に行けないという人がよくいるが、決まっていたら相談の必要もない。決まらないから相談して指導を受けることが必要なのである。

A細かいテーマ

 対象とした分野、作品、ジャンル、作家、時代等の中から、自分が追究する問題点を特定する。
 これはある程度作品や参考文献を読みこなさないと決められない。決めてもそれが追究する意義ある問題か、限られた時間の中で追究可能であるか否かが問題である場合がある。いくつか考えたテーマを指導教員に提示して、一緒に考えてもらう必要がある。繰り返すが、決まったら言いに行くのではなく、決定的でない段階で相談することが必要。

Bテーマ設定のヒント

 自分でテーマを決められない場合は誰かに相談する必要があるが、出来ることなら自分の頭で決める方が望ましいに決まっている。では自分で決める場合、どうしたら決められるのか。ヒントになりそうなことを書いてみる。
 誰かが何かを研究するとき、必ずその人なりの動機があるはず。それは他人にはわからないことであり、他人である教員が、あなたはこういうことをやるべきだ、とは言えない。通常文学研究の動機はその作品や作家が好きである、ということが多く、その場合はその作品や作家をテーマにすればよい。しかし最近の学生の中には、自分が何が好きかわからないという人が多い。自分が何が好きかぐらい自分で考えろよと言いたいのだが、実際にそれがわからない学生が多いという現実がある以上仕方がないから、教員はあれこれ質問して、この人はどんなことに興味があるのだろう、と推測して、こういう作品をやってみたら、と提案することはある。しかし最終的に何をやるかを決めるのは本人である。先生が何を言おうと、自分がやりたいものがあればやる、ということが望ましい。自分が何をやりたいのか、何を知りたいのかわからない場合、それがわかるまで自己分析することが必要。それが出来ない人は結局独り立ちできない人なのだから、社会に出る資格はない。つまり卒論は書けない。
 勿論、仮に自分のやりたいことがはっきりしていても、それを研究することが社会的に価値を持たないこともある。研究の結果が研究者の間では既に自明であり、知らなかったのは自分だけ、という場合。或いは結論を導くには余りに多くの時間が必要で、限られた期間には到底完成できない、という場合もある。この場合は先生に相談すれば、これはやっても意味がないから別のことを考えなさいとか、一年では無理なので範囲を絞りましょうとか言われることになるだろう。
 一例として杉浦は、高校時代の受験勉強で徒然草に興味を持ったので、指導の先生に徒然草をやりたいと申し出たら、「君には無理です。やめなさい」と言われた。徒然草は余りに研究の蓄積が多く、一年ぐらいで新しい成果を上げるのは無理だと思われたのだろう。しばらく悩んだ末、では兼好の和歌をやりますと申し出たら、それならいいですと言われ、主に『兼好自撰家集』を研究対象として『歌人としての兼好』という卒論を書き、卒業後その一部を書き直して雑誌に投稿した(「「兼好自撰家集」考―その構成をめぐって―」『国文学言語と文芸』第八四号一九七七年六月)。それが私の、いわゆる処女論文だった。
 兼好の和歌を研究した結果、それまでよく知らなかった中世和歌全般についても勉強せざるを得なくなり、その後の研究生活を考えると、結果的にはそれでよかったと思う。大学院では兼好が頓阿・慶運と合点した二条良基の百首和歌、『後普光園院殿御百首』の伝本を研究することになった。また『徒然草』を読む上でも、従来とはちょっと違った視点で読めるようになったのではないかと思い、先生には感謝している。ただ先生に「無理です」と言われたことが心にかかり、その後もなかなか徒然草については発表できなかったのだが、十年後に同じ雑誌の徒然草についてのシンポジウムでパネリストに指名され、以後徐々に徒然草についても発言するようになった。こういうこともある。どのようにテーマを決めるかは一人一人違うので余り参考にならないかもしれないが、一例として紹介した