卒論研究の手順5−執筆


@書き始めは早く

 執筆は手順としては最後の段階だが、書き始めるのはいくら早くてもかまわない。問題を発見した時点、作品を読みながら何らかの感想を持った時、作品中の語句をちょっと調べてみた時、参考文献を読んで抜き書きする等、様々なタイミングで小さな文章を書く必要があるはず。これは出来るだけ時を逃さず書き留めておく必要がある。ある時一瞬浮かんだアイディアは、後で思い出そうとしても思い出せない場合が極めてしばしばある。
 こういう細かい思いつきのメモを、梅棹忠夫(前記した『知的生産の技術』)は一枚一枚のカードに記録するのだという。ある程度溜まったところでそれを並べ替えると、それは長い文章の構成そのものになることがある。間にいくつか繋ぎの文章を入れると、それで一編の論文が出来上がる場合もあるという。
 ある程度構想を立てて書き始める場合でも、何度も書き直す必要が出て来るし、構想全体を作り替える必要が出て来る場合もある。〆切が迫った段階でそれをやるのは辛い。だから、書き始めるのは早い方がよい。

Aパソコンを使う場合

 何度も書き直したり構成を入れ替えたりする場合、手書きよりもパソコンの方が格段に便利である。パソコンで入力・編集する場合、アプリはワープロよりもエディタを使った方が速いし、後々の取り扱いも楽である。
 ワープロの場合最初に書式を設定する必要がある(初期設定通りなら何もする必要はないが、日本文学の場合縦書きが普通であり、これは初期設定ではない)が、エディタならばその必要はなく、とにかく書き始めればよい。ワープロの場合、たとえば一太郎で書いたものをWORDで読み込む、またはその逆、が全く出来ないわけではないが、本来の書式情報が失われる場合がある。エディタには書式はないので、ワープロに読み込んでも失われるものはない。エディタで編集したものをワープロソフトに読み込んで整形して印字する、というのが一番便利である。
 ただ文中に表や画像を使う、という場合はこの限りではない。それはエディタでは出来ないので、最初から一太郎なりWORDなりのワープロソフトで書き、それぞれの表作成機能や表計算ソフトとの連携を利用するのがよいだろう。また漢字を多用する場合、字によってはエディタでは扱えないものもある。
 ワープロソフトとしてはWordと一太郎が有名だが、大学のパソコンにはWordは入っているが一太郎はない。Wordで差し支えないのだが、振り仮名を振る必要がある場合、Wordだと勝手に行間が広がってしまう。一太郎ならば行間を変えずに振り仮名が入るので、その点では一太郎が便利である。
 エディタは、Windowsにはメモ帳というエディタが添付されており、ワードパッドはワープロではあるがWordや一太郎に較べればずっとエディタ的。大学のパソコンには秀丸エディタというシェアウェアのソフトが入っている(と思う)。シェアウェアは商品ではないが恒常的に利用する場合は寄付をいただく、という流通形態のソフトウェア。市販の同機能のソフトウェアよりも高機能であったり頻繁にバージョンアップされて機能が向上する場合が多い。秀丸エディタもそのシェアウェアなのだが、学生は無料で使える特典がある。これはメモ帳よりずっと強力なエディタソフトなので、活用されたい。但し杉浦がエディタとして最も活用しているのは「知子の情報」(テグレット技術開発)というソフトである。これは文書データベースと言うべきものであり、画面は全くエディタなのだが、それで編集したテキストは知子ファイルというデータベースファイルに保存され、後で検索出来るというとても便利なソフトで、杉浦イチオシ。ただ最近はEvernoteやOneNoteでも似たようなことが出来るし、特にOneNoteでは制限を超えなければ無料なので、それでもいいかもしれない。
 既に例示したOpenOffice.orgだが、これは無料で使えるOfficeソフトで、ワープロ、表計算、プレゼンテーション、図形描画、データベースが入っており、MS-Officeとの互換性が高い。MS-Officeは高いから個人では買えないという場合は、これを使えばよいであろう。またパソコン用のソフトに較べれば機能は限定されているが、スマホやタブレット向けには無料アプリとしてのOfficeonlineもある。

B書式

 卒論の書式は特に規定されていない。国語国文関係の場合、ある時期までは習慣としてB4四百字詰め原稿用紙に縦書きして袋綴じ、というのが一般的だったが、最近はワープロ印字が当たり前になった。その場合、通常市販されているプリンタはA4までしか印刷出来ず、B4も印字できるA3タイプのプリンタは高価なので、A4を使う人が増えている。それでいいと思う。A4縦の用紙に縦書印字して(日本文学以外では横書きが普通だから、こういう配慮はしなくて済む)、黒(ほかの色でも一向に構わないのだが)の表紙と紐で綴じるというのが一般的。時間的な余裕があれば製本所に頼んで製本する手もあり、勿論その方が見栄えがよいが、そこまでの余裕はない人が多い。ただページ番号は必ず付けること。
 表紙には提出の年度・題名・所属・学生番号・氏名を書く、或いはそれらを書いたり印字したりした紙を貼り付ける。背表紙も付けること。背表紙の作成にはラベルライターがあると便利。ラベルライターはカシオのネームランドやKING JIMのテプラ等メーカーによって商品名が違うが、どれでもよい。スペースの関係で、表紙に書き込んだもの全ては書き込めないだろうから、年度・題名・番号・著者名程度を一行に印字すればよい。但し余りに薄くて背表紙が付けられない場合はなくてもやむを得ない。
 ワープロ印字による場合の本文の書式だが、表裏両面印刷は難しい(但し最近のプリンタは割と簡単に両面印刷できるものが増えてきたので、出来れば両面印刷が望ましい。通常の本を作るのだと考えればよい)ので、A4の紙に片面印字でもかまわない。見やすく、書き込みしやすいように余白と行間を余裕を持って空けてあればよい。この文書の書式が見本になるだろう。
 なおワープロ等で入力していると、日本語変換ソフト(IMEとも言う。MS-IMEやATOKなどが有名)の漢字変換で勝手に難しい漢字に変換してくれたりするが、基本的に全て自分が読める漢字だけになるように注意する必要がある。誤変換は勿論禁物。誤字脱字は減点の対象になると考えるべし。
 古文・漢文の場合JISにない字を使いたい場合がある。外字を作るという手もあるが、それは他のパソコンでは使えない。一字分空けておいて手書きするという方法、部首を組み合わせて一字分に印字する方法など、各自工夫が必要。なお紀伊国屋書店から『今昔文字鏡』というフォントソフトが出ており、これを使えば大漢和辞典に収録された全ての漢字が使え、変体仮名も使えるのだが、面倒なのでそこまで凝る必要はない。
 参考までに杉浦が使う手を紹介する。古文では繰り返し記号が使われている場合があり、それを入力するには、「くりかえし」とか「おどりじ」とか入力して変換キーを押すと、「ゝ」「ゞ」「ヽ」「ヾ」等が出て来る。二字分に亘る繰り返し記号の場合は、「/」(スラッシュ)、「\」(逆スラッシュ)を続けて縦印字する方法(/\)をよく使うが、「く」を二倍にすれば(「く」)繰り返し記号のようにも見える。ただそうするつもりで忘れて二倍にしなかったので、ただの「く」にしか見えない印刷で提出された論文やレポートもある。
 JISにない漢字を使う場合、部首を組み合わせる手がある。たとえば
僉式
という字は「僉」と「式」という漢字を並べて範囲指定して、縦書きの場合はWordの「縦中横」というコマンドを使い、横書きの場合は書式→フォントメニュー→「文字と間隔」を50%にして表現する。

C構成

 序論・本論・結論の三段構成が基本。本論は長さや必要に応じて更にいくつかの章や節に区分する。序論の前には目次を付けること。Wordにも一太郎にも目次機能があって、いちいち目次の文字やページ数を書かなくても目次が出来る。推敲によってページ数が変わっても一発変更が可能。使っているワープロの機能に習熟することが望ましい。
 結論の後には注・参考文献一覧・付表などを必要に応じて付ける。その書き方は研究書や論文の書き方について書いてある本を参考にすること。この文書もそういう本の一つと考えてもらっていいが、出来ればそういう類の本を最低一冊は読むことを強く勧める。
 序論に書くことはテーマについての説明、先行研究の整理、本論で行う研究方法など。本論は自分が行った作業・考察の本体。結論はその作業・考察から得られた結論である。論文は真実を明らかにするのが目的の文章だから、あるテーマや方法を選んだ個人的事情とか、研究過程における苦労話、などを書く必要は全くない。

D先行研究の踏まえ方

 たとえば源氏物語や徒然草を研究対象とする場合、先行研究文献は膨大である。それらを全て読破するのは無理だし、そもそも収集することすら難しい。限られた時間の中では、収集できるのも読破できるのも一部だけ。それは仕方がないが、せめてどれだけの先行文献があるのかをリストアップする必要はあるし、読んでいないものについては、自分が読んでいないことを隠してはいけない。源氏や徒然の場合、既に何度か研究史がまとめられている。当然そうしたものを参照することになろうが、そうしたものを利用した場合も、そうした文献を利用しているのだということを明記すること。
 逆にほとんど先行研究のない対象の場合、数少ない先行研究は全て目を通す必要があり、誰によってもまとめられていないので、自分がまとめなければならない。どちらが大変かは対象によって違うので、一概には言えない。ただ、一般に先行研究の少ない作品はそれだけ文学的価値が乏しいと評価されているものであり、また多くの人が目にすることが出来ないものが多いので、通常学生が卒論のテーマに選ぶのは、先行研究の多い作品であろう。

E引用の仕方

 演習形式の授業をやっていて一番気になるのは、先行文献の引用の仕方。演習用の資料にどこから引用したか書いてなかったり、引用なのにそれを読み上げる時に語尾の「だ・である」を「です・ます」に変えたりする。それは他人の成果をあたかも自分が調査したり考えたことであるかのように装うということであり、剽窃、或いは盗作である。論文として公表すれば著作権法違反になり、それで学位を取ったことが判明すれば学位は剥奪され社会的に抹殺されるから、絶対にしてはいけない。
 論文においては、他人の著作を引用する場合は、その部分を「 」で括る、或いは行を空け二字下げ程度で引用し、最後に( )の中に著者名や文献名・ページ数などを注記するか、番号を記入しておいて巻末やページ末に著者名・文献名を注記するかして、誰の発言かを明確にすること。こうした注釈を付ける機能もWordや一太郎にはある 。

F注・参考文献の書き方

 注・参考文献の書式は、Cで言及したようなマニュアル本を見れば参考になる例がいくつも出ているから参照すること。参考までに杉浦の場合は、まず著者名、次いで原則として文献が本や雑誌である場合は『 』で括り、その後に( )に入れて巻号・発行年月・出版社名を書く。本や雑誌に収録された論文やエッセーの場合は、著者名「文献名」(編集者名『本や雑誌名』発行年月・出版社名)という書き方をしている。このうち著者名は、本文で明記した場合は省略してよい。
 本文に同一人名が初めて出る場合はフルネームで、二回目以降は姓だけで表記する。但し同姓の人がいる場合は常にフルネームで書く。では同姓同名の人はどうするか。私は大学院で伊藤博という先生に習ったが、日本文学研究者の中には同姓同名の人が何人かいる。私が習った伊藤博先生は万葉集の研究者だったので、「万葉集研究者の伊藤博」と言えば大体わかるだろう。伊藤先生自身は、他の同姓同名者と区別するために、「博」の部分を「ひろし」ではなく「はく」と読ませていたが、それは声に出して呼ぶ場合には有効だが、書き言葉では区別出来ない。
 著者に対する敬称は、多くの分野で省略する場合が多く、近代文学研究でもそうだが、古典文学の場合は「氏」ぐらいは入れる場合が多い。客観的に真理を追究するのが研究論文の目的だから、敬称は略して構わないと思うのだが、現実に自分の名前を挙げて「氏」を付けたり尊敬語を使ってくれたりする人に対して、こちらは呼び捨てにしてしまうというのは失礼だろうか、とも思うので、これまでのところ私は「氏」を入れる場合が多い。どうすべきかは、先行研究でどう処理しているかを参考にすればよいであろうが、卒業論文が指導教員以外の研究者の目に触れたり引用されたりすることは最近はまずないので、呼び捨てで構わないと思う。
 なお、どのように論文を書くか、参考にするために先輩の卒論を見たいと申し出る学生が毎年いる。見たければ見てもよいが、参考にしていいのは書式とか綴じ方とかだけで、内容や構成はプロの書いた論文や研究書を参考にすること。自分と同レベルの先輩の論文の真似では、より質の低いものしか書けない。

G枚数について

 卒論や修論をどれくらいの分量で書くのが望ましいか、という規定はない。だから何枚でも構わないのだが、参考までに杉浦が考えるところを書いておく。
 杉浦の恩師の一人である故小西甚一先生は、必要十分なことが明確に書かれていれば十枚でも構わないが、ほとんどの人はそんなことは出来ないので、自ずと長くなってしまうと言われた。小西先生の論文は長い物が多いようだし、著作となると『日本文芸史』全五巻のような大部のものを出している。
 聞くところによれば京都大学文学部国語学国文学研究室では四百字詰め原稿用紙五十枚(二万字)と規定しているそうで、それは同研究室が編集している『国語国文』という雑誌の投稿規定がそうなっているからで、卒業論文もそのまま研究雑誌に掲載して恥ずかしくないものであるべきだ、というポリシーによるのだという。その他の学会誌の規定は大体三〇枚前後だから、それらの学会誌に出せる水準を目指すなら、三〇枚前後ということになろう。但し京都大学のような規定がある大学がどれだけあるのかわからず、東大や筑波大では限定はなく、百枚以上書くのが普通のようである。私の卒論は大体三百枚程度だったが、書いているうちにそうなったので、別に何枚書こうと考えたわけではない。達意の文章ならば長くても構わないが、何を言っているのかわからない難解、或いは下手くそな文章を百枚も二百枚も読まされるのはかなわない。五十枚から百枚程度、ワープロ印字で一枚六百字ならば五〇枚前後、千二百字ならば二十五枚程度で十分過ぎるくらいだと思う。

H卒論の水準

 卒論を書くことによって身に付けることが出来る能力とは、「はじめに」にも書いた通り、自ら課題を発見しそれを解決するための方法を考え、それを実践した上でその結果を他人が読んでわかるような文章にまとめる力、ということになろう。そうやって書かれた論文は、たとえば京都大学が課しているように、そのまま学術雑誌に掲載しても差し支えない水準であることが要求される。いまどき学部段階でプロの研究家達と競い合える水準の論文を書くのはかなり難しいというのが現実だが、かつてはそういう人達がよくいたので、それが出来ない現実を認めるのならば、学生の水準が落ちていることを認めることになる。結果はどうあれ、あくまでも学界に寄与するに足る論文を目指してほしい。

I論文の読者

 実際には指導したり判定したりする教員だが、教員はそのテーマに関する研究をしていない場合が多い。一人の教員が古典文学全体を扱う場合、その人は特定の時代や作品を研究しつつ、指導に当たってはそうした自分の専門の範囲を越えて指導しているのが現実である。その場合、その教員が読んでなるほどと思っても、専門の研究者もなるほどと思うかどうかはわからない。論文の第一読者として想定すべきは、その作品なりテーマなりを研究している第一線の研究者である。源氏物語をテーマにしたなら源氏物語研究者、平家物語で書くなら平家物語研究者。ということは、たとえば源氏をテーマに論文を書くとき、「源氏物語の作者は紫式部である。紫式部は藤原道長の娘、中宮彰子に仕え」云々といった、研究者ならば当然知っていることを書く必要はさらさらないということである。