古典文学の魅力


古典文学の魅力

 既に古典文学の林に分け入って?十年、その研究を続ける私は普段あんまり意識していないのですが、その研究に一生をかけようと思ったのは、それだけの魅力が古典文学にはあると思ったからでしょう。個人的な様々な研究のきっかけはともかく、改めて古典文学の魅力は何か、を考えてみました。

『とはずがたり』の魅力

 ブルガリア人のツベタナ・クリステワさんは私より一つ年下。今は国際基督教大学に勤めていますが、何年か前の中世文学会のシンポジウムで、『とはずがたり』の魅力について話しました。彼女は1980年に『とはずがたり』をブルガリア語に訳して出版。それまでブルガリア語になった日本の古典はなかったそうですから、ブルガリアの人達にとって日本の古典とは、源氏物語よりも平家物語よりも徒然草よりも、まず『とはずがたり』によって初めて知った世界、ということになったようです。

 他の作品も研究していたツベタナさんが、なぜ真っ先に『とはずがたり』をブルガリア語に訳したかというと、彼女の言葉によれば、「私は『とはずがたり』が大好きです。愛してます」とのことです。ではツベタナさんは『とはずがたり』のどんなところが好きなのか、愛しているのか?

『とはずがたり』という作品

 ツベタナさんが『とはずがたり』のどこがいいと思うのか、は実はよく分かりませんが、客観的に見て無理もないな、と思います。『とはずがたり』は鎌倉時代に後深草院二条という女性が書いた日記兼紀行文。全5巻から成り、前半の3巻には主人公兼作者の二条を取り巻く宮中の愛欲絵図が、後半2巻には内裏を追い出された二条が、四国や鎌倉、信州などを行脚する紀行が描かれています。二条は2歳の時から実の親から引き離され、後深草院によって育てられ、14歳で育ての親である院によって女にされてしまう。しかしその前から二条に好意を抱く貴族がおり、その男とも、また院の弟である法親王からも愛され、その男との間にも子供が生まれ、更に別の貴族男性とも性交渉を持ちます。多くの男達に愛された二条も、他の女性達の嫉妬もあってやがて宮中から退出せざるをえなくなる。が、実は子供の頃から西行絵巻を見て、自分も西行のように修行の旅をしたいと思っていたので、これ幸いとあちこち旅をする。

後深草院二条という女性

 多くの男達から愛されたということは、男達から見てそれだけ魅力的な女性だったということなのでしょう。しかし二条はただ男に愛されることだけによって生きていたわけではない。実は西行に対する憧れがあって、宮中を追い出されてからは、当時の女性としては考えられないくらいあちこち旅をする。それが13世紀のことです。その時代に二条のように男達から見て魅力的であり、かつこんなに行動的だった女性が世界中のどこにいたでしょうか?フランスでジャンヌ・ダルクが活躍するのもずっと後、15世紀前半のことです。

 ツベタナさんは一時ブルガリアのソフィア大学に勤めたこともあったそうですが、日本文学を研究するためのより快適な環境を求めて日本に来たのでしょう。そういう行動するヨーロッパ女性にとって、『とはずがたり』が魅力的な作品に映るのは無理もない、と思います。

日本の若者はなぜ『とはずがたり』を読まないか?

 『とはずがたり』を愛していると言ったツベタナさんの言葉はまだ続きました。「私がこんなに大好きな『とはずがたり』を、日本の若者は読もうともしません。なぜでしょう?」と。

 日本の若者が『とはずがたり』を読もうとしない理由を、私は知っています。いくつもありますが、主要なものは次の三つぐらいでしょうか。

1 中学・高校における古典教育の問題

 古典だけではないのですが、現代日本の中学・高校(中学受験をする人の場合は小学校も含まれるでしょう)の教育は、受験勉強を教える教育に特化しています。入試に出ない科目や分野は、学校も教えたがらないし子供や保護者も望みません。大学入試に限ると、センター入試を受ける場合国語には古典も含まれるので勉強しますが、センター入試を受けず私立大学で文系以外を受験する場合、ほとんど古典は必要ないので勉強しない、というのが現状でしょう。入試に出る場合は、入試対策としての勉強になりますから、古典の魅力よりも試験問題を解くための勉強になります。受験勉強であっても、それをきっかけに古典の魅力に目覚めるという人もいるでしょうが、多くの場合入試が終わったらもうこんな勉強はしたくない、と思うのではないでしょうか。

2 『とはずがたり』の特殊事情

 仮に高校で古典を勉強する場合でも、そこで触れる古典文学作品の中に、『とはずがたり』が入りにくい、という事情があります。作品紹介でも述べたように、『とはずがたり』の前半3巻に描かれているのは宮中の愛欲絵図。『源氏物語』のような架空のお話ならばともかく、実際に今の皇室のご先祖様達がそんなことをしていた、ということは、日本を「美しい国」だということにしたい人達は知ってもらいたくないでしょう。

3 若者の読書離れ

 これはたまたま北海道教育大学の学生に対する調査ですが、マンガや雑誌以外で月に何冊本を読むか、という調査によれば、0冊乃至1冊という人が80%という結果が出ています。そもそも読書しない若者が、わずかな読書の中で古典を選ぶかどうか。学生は読書する人達、というイメージは完璧に崩壊しているのです。

読書の魅力を伝えるには

 『とはずがたり』にどんなに魅力があっても、そもそも読書ということに魅力を感じない若者が多いのであれば、彼らに読ませることは不可能でしょう。もちろんそれでいいとは思わない。受験勉強中心の中学・高校の教育に問題があるならば、それを変えて行く努力が必要です。が、戦後60年以上かかって今のように推移して来た教育をそう簡単に変えることは出来ない。制度や習慣の変革はそう簡単には出来ないとして、その上で古典文学に魅力があると感じている人に何が出来るか、を考えるべきでしょう。では何が出来るか?とりあえず次のようなことを考えています。

外圧

 日本人は外圧に弱い。悲しいことですがそういう傾向があるのは確かなようです。そこで、ツベタナさんのような外国人に、日本人に向けて日本の古典の魅力を語ってもらう、というのが一つ。

 外国に留学した学生達は、留学前は日本のことよりも留学先の国のことを勉強しますが、行ってみれば自分がいかに日本のことを知らないかを思い知らされて帰って来て、俄に日本のことを勉強し始める。とすれば、多くの若者が外国に留学することを奨励するのも一つの方法かも知れませんね。

魅力の発信

 他人が何か楽しそうなことをしていれば、何をしているんだろうと知りたがる、ということがありますよね。古典に見向きもしない人はとりあえず無視して、古典に魅力を感じている人自身がその魅力を発見し、それを公表して行く。それが楽しそうであれば、今まで知らなかった人もちょっと覗いてみたくなる、ということがあるのではなかろうか?

 古典文学の魅力を本に書いている人は沢山いるでしょう。でもそもそも本を読まない人は読みませんから、書いても伝わらない。それに対してインターネットのホームページは、ページによって見る人がいるかいないか様々ではありますが、ネットサーフィンする若者は多いだろうし、そもそも本のようにお金を出して買わなくても済むし、多くの若者の目に触れる可能性があります。古典を扱ったホームページは結構あると思うのですが、このページも、そういう一つにしたいと考えています。