2010年(平成22年)


方丈記覚書十六 建仁二年の歌合等
れぎおん68号2010年1月31日p12-7.
 建仁2年(1202)に行われた和歌行事の内、長明が参加した三体和歌と仙洞影供歌合建仁2年5月について考察。三体和歌は著名で研究も多いが、長明が出詠した6首の内夏の歌が、三体和歌本文と無名抄に収録されたものでは全く別の歌である点は余り注目されていない。そこでその理由を推測した。仙洞影供歌合は藤原隆信に対して2敗1持。判の理由を表現分析を通して考察した。

徒然草における旅
語学文学48号2010年3月1日p13-22.
 徒然草十七段にある「いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目覚むる心地すれ」という考え方は旅についての感じ方として伝統的なのか新しいのか、を探った。

方丈記覚書十七 建仁三年の歌合
れぎおん69号2010年4月1日p2-7.
 鴨長明が建仁三年(1203)に参加した二つの歌合、影供歌合建仁三年六月と八幡宮撰歌合建仁三年七月について該当歌を読解・考察した。三木紀人によれば長明はこの翌年春に出家したことになり、長明が出詠した歌合はこれらが最後となる。勝ちはなかったが、長明が常に新しい表現を生み出そうと努力していたことが窺われる。

方丈記覚書十八 源家長日記
れぎおん70号2010年7月1日p2-7.
 長明の出家の事情を伝える源家長日記について、作品の概要と長明に関する記事を要約し、和歌所から逐電して出家するまでの間に後鳥羽院に詠み送った歌一首を解釈。同日記全註解の読みを批判し、三木紀人氏の解釈に賛意を表した。

方丈記覚書十九 元久詩歌合
れぎおん71号2010年10月1日p2-7.
 三木紀人氏は長明の出家を元久元年(1204)春と推定したが、元久2年成立の元久詩歌合の成立過程の推測から否定し、同詩歌合成立後とした。また同詩歌合の和歌の質の高さを指摘し、その中における長明の和歌について考察した。