1986年(昭和61年)


和歌四天王についての一考察
国文学言語と文芸(大塚)100号1986年11月30日p26〜43
 浄弁・頓阿・能誉(または慶運)・兼好は、鎌倉末期から南北朝初期にかけて「和歌四天王」と呼ばれたと考えられているが、それを記す『今川了俊歌学書』『正徹物語』はいずれも四人の没後、対立する冷泉派の歌人が書いたもの、それ以前に成立した『九州問答』で、二条良基は定家・家隆・有家・雅経が「和歌ノ四天王」と呼ばれたと書いている。三書の検討から通説に疑問を呈し、4人の同時代評価の再検討を促した。