from 1980
トップ
お知らせ
杉浦研究室
教室
連句の部屋
リンク集
杉浦研究室
著書
雑誌論文
2017年(平成29年)
2015年(平成27年)
2013年(平成25年)
2012年(平成24年)
2011年(平成23年)
2010年(平成22年)
2009年(平成21年)
2008年(平成20年)
2007年(平成19年)
2006年(平成18年)
2005年(平成17年)
2004年(平成16年)
2003年(平成15年)
2001年(平成13年)
2000年(平成12年)
1998年(平成10年)
1995年(平成7年)
1993年(平成5年)
1991年(平成3年)
1990年(平成2年)
1989年(昭和64年=平成元年)
1988年(昭和63年)
1987年(昭和62年)
1986年(昭和61年)
1984年(昭和59年)
1983年(昭和58年)
1982年(昭和57年)
1981年(昭和56年)
1980年(昭和55年)
1979年(昭和54年)
1978年(昭和53年)
1977年(昭和52年)
1981年(昭和56年)
『後普光園院殿御百首』の成立をめぐって
国文学言語と文芸92号1981年10月31日p79〜98
『後普光園院殿御百首』は二条良基が旧作を貞和2年(1346)以後間もなく、または観応3年(1352)6月以後8月以前に集成して出来たものであること、頓阿・慶運・兼好に合点を依頼したのは、観応の擾乱後即位した後光嚴天皇に、二条派の歌風を支持させることを狙ったもので、良基達の天皇に対する働き掛けが従来言われていたより早く行なわれていたことを推測した。