1981年(昭和56年)


『後普光園院殿御百首』の成立をめぐって
国文学言語と文芸92号1981年10月31日p79〜98
 『後普光園院殿御百首』は二条良基が旧作を貞和2年(1346)以後間もなく、または観応3年(1352)6月以後8月以前に集成して出来たものであること、頓阿・慶運・兼好に合点を依頼したのは、観応の擾乱後即位した後光嚴天皇に、二条派の歌風を支持させることを狙ったもので、良基達の天皇に対する働き掛けが従来言われていたより早く行なわれていたことを推測した。