2008年(平成20年)


方丈記覚書八 幻の『伊勢記』
れぎおん60号2008年1月1日p2-7.
 鴨長明が三十代の頃伊勢に行き『伊勢記』と称する紀行文を書いたことが知られているが、同書は散逸し、現在は『伊勢記抜書』や夫木抄等に収録された逸文を集成してその面影を想像するしか出来ない。既に逸文集成は行われているので、それを読解することによって知られる紀行の状況を推測した。

方丈記覚書九 幻の『伊勢記』続
れぎおん61号2008年4月1日p2-7.
 夫木抄所収で伊勢記を出典とするとする歌と詞書からわかることを考察。それによって、長明が一定期間二見に在住したこと、ますほの薄の話題が後の徒然草では人生訓となるが、長明は和歌の知識や実作へと繋がること、唯一の長歌は途中までしかないこと、同行者についての情報があること、伊勢記抜書は必ずしも伊勢記に収録されていた和歌を抜粋したのではなく、それ以外でも伊勢で詠まれたと考えられる歌を抜粋したと考えられ、その意味では伊勢記抜書よりも夫木抄の詞書を丹念に辿った方が伊勢記の正確な姿を推測できるだろうこと、そして

方丈記覚書十 若宮社歌合建久二年三月三日
れぎおん62号2008年7月31日p2-7.
 前稿の補訂として「幻の『伊勢記』補訂」を冒頭に、次いで「長明が参加した歌合」として、知られている作品を挙げ、次いで「散逸歌合の例」として『無名抄』に載る例を例示。次いで長明参加の歌合のうち最初の若宮社歌合について論じた。長明は三番に出詠して侍従という女性らしき相手と組み合わされているが2勝1持。但しそれは題意を外した相手の敵失によるものらしい。なおこの歌合と長明が後年実朝に面会した際に、頼朝の墓前で涙し歌を書き付けたエピソードとの関係にも言及した。

方丈記覚書十一 正治二年の歌合一
れぎおん63号2008年10月1日p2-7.
 長明が参加した歌合の中で現存する最初の作品、若宮社歌合が催行された建久二年(1191)から、次の歌合廿四番が催行された正治二年(1200)までは九年ものブランクがあり、その間長明がどこで何をしていたのかほとんどわかっていない。新古今時代に突入した正治二年に至って、長明は突如歌壇の中心に現れた、という感があるのだが、ともかく長明が本格的に歌壇デビューした正治二年の歌合の内、九月三十日の歌合廿四番と十月一日の歌合当座について考察した。