1995年(平成7年)


兼好家集成立論再考
語学文学33号1995年2月28日p13-22.
 兼好家集の成立について既に「兼好家集成立存疑」を公表したが、それに対して稲田利徳「「兼好自撰家集」覚え書」(岡山大学教育学部研究集録第96号1994年3月)は一部支持一部不支持の見解を表明した。それに対して批判された点を再検討したもの。これによって杉浦説は一部修正を余儀なくされたが、稲田説に対する疑問もあることを述べた。

飛鳥川の淵瀬−古今集九三三番歌の成立と受容−
日本語と日本文学21号1995年6月20日p1-11.
 「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の渕ぞ今日は瀬になる」は、飛鳥川が変わりやすいことを前提に詠まれたと理解されて来たが、そうではなく、この歌の段階ではむしろ永遠の川と認識されていたことを、万葉集・古今集の飛鳥川詠を検討することによって論証した。

徒然草の身分論・身分観
人文論究60号1995年9月30日p1-12.
 徒然草には様々な矛盾があると言われるが、実は読み手の解釈によって矛盾と考えられていたに過ぎない点が多々ある。そこで本稿では、兼好の身分に対する考え方が、見方によっては矛盾と見えても、実は論理的整合性を持っていることを論じた。

いじめの日本文学史−上代〜中世−
函館国語11号1995年11月25日p3-12.
 学校におけるいじめが問題視されているが、その際多くの論調は現代のいじめが極めて現代的な特徴を持っていると論ずる。が、実はそれらは歴史的事例に配慮しない近視眼的な論であり、実はいじめの根は極めて深く遠いのであることを、有名古典、古事記・源氏物語・平家物語・徒然草のいじめの例を挙げて論証した。